宗次德二の年収や自宅は?カレーハウスCoCo壱番屋の創業者の生き様!
出展:http://www.tokyo-cci.or.jp/page.jsp?id=21891
宗次德二は、『カレーハウスCoCo壱番屋』の創業者です。
『カレーハウスCoCo壱番屋』は、店舗数1412、売上高約899億円の
世界最大のカレーチェーン店です。
私も『カレーハウスCoCo壱番屋』のカレーは、
好きです。
私は、いつもカレーにチーズをトッピングします^^
最高に美味しいです^^
宗次德二について調べて見ました^^
早速、見て行きましょう
宗次德二の年収や自宅は?カレーハウスCoCo壱番屋の創業者の生き様!
宗次德二のプロフィールを引用します。
宗次 徳二(むねつぐ とくじ)
生誕 1948年10月14日(67歳) 日本、石川県
職業 壱番屋特別顧問
受賞 第6回企業家賞
こだわり: 毎朝、平均90分の道路掃除
趣味: 早起き、街の掃除
特技: 超早起き
休日の過ごし方: 海外旅行以外の休日は無し
座右の銘: 手を差し伸べる
尊敬できる人: 小山 実稚恵氏(ピアニスト)
現在の仕事の魅力と苦労: 芸術(クラシック)を広めることに喜びを感じています。
しかしながら、集客には苦労が多いですね。
日本を背負う若者へのメッセージ: 夢は持たなくてもかまいません。常に確たる目標を持ち、
その目標に向かって努力を惜しまなければ、
やがて夢のような奇跡が起きるでしょう。
「戸籍上は石川県生まれですが、
両親が誰なのかわかりません。
兵庫の孤児院で育ち、3歳の時に雑貨商を営む夫婦に引き取られました。
ところが養父がギャンブル(競輪)にはまって財産をなくし、夜逃げするように岡山に移ったんです」
宗次德二の幼少時代
養父について
数百円でもあれば、それをギャンブルに使う性格。パチンコに行く毎日でした。
私は掃除をしていないだけで、殴られたりもしました。すごく暴力を振るう人でした。
時には荒れて、隣近所に包丁を持って暴れることもありました。そんな養父に愛想をつかして、養母は家を出ました。
このエピソードを見ると壮絶な幼少時代だったんですね!
さらに
雑草を食べて育ちましたから。
食べるものにも事欠き、隣の家の暖かな食卓をうらやましく覗いた日々だった
パチンコ店でシケモク(たばこの吸い殻)を父のために必死になって拾った。
電気もなく、ろうそくの生活でしたよ。
電気も水道もない生活が何年も続いた。
千円札なんて見たこともなかったです。
貧乏で弁当を持っていくことができずに、
みんなが昼ごはんを食べ終わるまで、校舎の裏で一人じっと待っていることもありました。
家庭訪問も断った。
4畳半の貧乏生活を学校の先生に見られるのが嫌だったんです。
ごちそうといえば、煮干だったんです。
あまりにも宗次德二の子供時代は、壮絶すぎます。
極貧生活ですね!
そんな宗次德二は、今では総資産220億円です。
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この成功には、下記の信念があったからでは、無いでしょうか!
何よりもまず、「お客様第一主義」ですね。自分たちのことは二の次で、お客様に身を捧げる。
儲けたい、成功したい、という気持ちはありませんでした。
ただ人に喜んでもらいたかったんです。
この人のために、世のためにという精神がなければ、
成功しないんですよ!
商売の鉄則でこういう格言を聞いたことがあります。
『三方よし』という言葉です。
1、売り手よし
2、買い手よし
3、世間よし
このようにみんが良くなるように努力する事
なんだそうです。
宗次德二の年収や自宅はどこなのかが気になりました
調べて見ました。
はっきりした年収が記載された情報がありませんでした。
ですが、
総合家具チェーン「ニトリ」の似鳥昭雄社長(68歳)の
年収が約1億2000万円という事ですから、
宗次德二は、それ以上あるのでは無いでしょうか?
億万長者ですよ!
宗次德二の自宅についても調べて見ました。
エピソードを発見しました。
宗次はほぼ毎日、名古屋・栄の街を早朝掃除する。
「お金を自分のために使うのは恥ずかしくてできない」という。
時計は9800円、シャツは980円で、
自宅は接待用に少し大きなものを建てたのだが、
「それも恥ずかしいこと」だと話す。
宗次德二の自宅は、名古屋にあり、
大きい家(豪邸?)のようですね!
さすがです^^
まとめ
・宗次德二の子供時代は、壮絶な人生だった。
・宗次德二の総資産は、220億円
・宗次德二の年収は、何億円以上
・宗次德二の自宅は、名古屋で大きい家(豪邸?)
いづれにしても
宗次德二は一代でここまでの企業にした人です。
後世に語り継がれて行くことでしょう!^^